妄々録拾穂抄

MowMowしている

適当に努力の仕方を定義する

運動が苦手だ。

散歩は最近1時間くらいと決めて出るようにしたのでなんとか今は続けている。この先は知らん。

一方で筋トレは続かない。いつの間にか習慣が立ち消えになっていたりする。

マーク・トウェイン諧謔で「筋トレを習慣にするなんてとても簡単なことだ。私は何度も挑戦している」*1とかなんとか言ってしまえるくらい続いてない。

続かなくなったらまた始めるだけのことで、積み重ねはまた0からの出発になる。

自分の場合日常の状況の合間にそれを組み込んでしまうのが楽だと思っている。例えばトイレに行きたいと思って部屋を出た時に廊下で何回か腕立て伏せをする。戻ってきたらまた部屋に入る前に腕立て伏せをする、とか。

この際回数は5回とかでいい。トレーニングの意味がないじゃんとか言われるとまあぜんぜん負荷はかかっていないかもしれないが、"自分は続けてやってるぞ感”を持つためには最初から30回とかを義務付けててもしんどい。物足りなくなったら回数を増やせばいいだけ。とりあえず部屋から出たら筋トレ、入るときも筋トレ。もうそれで特定の状況に抱き合わせてしまう。

あとは入浴の前に脱衣所でスクワット、出たときも同様。風呂に出入りするときに組み合わせてしまって日常にしてしまう。

そんなかんじで努力の習慣づけを自分で勝手に定義してしまって半自動で続けていくしかないと思って。それでも途中で途切れてしまうけどね。

人間は怠惰だ、怠惰がゆえに目標は低く持つに限る。最初は簡単なことから始めるのがいい。「この程度ならできるよ、ふふん」で十分。

自分はこのやり方でいいし、だめになったら同じことをもう一回やりなおすだけ。

単純に数字の集積の力を考えてみれば一日1つとかいうのもバカにならない。同人誌の原稿も1ページずつ描けば終わるし*2、本を1ページずつ読んでいけば一年で300ページの本は読み終わる。外国語の単語も300個とか知ることができるのでは。単に数字の話ではね。

そういう集積のスケールの話を自分も甘く見ている。小さく始めて大きく積み上げる。それでも一年という期間を基準にするなら無理に300とか決めてしまわなくてもいい。100でも200でも何個でもいいし、時に変動してもいい。結局それが何年単位でもいくら積み上がるかでしかない。

逆にやりがちなのは均等にいくつと決めてしまってそれでなくてはいけないと思い込むことだ。勝手な規律をつくって満たせなければどうのこうのと無意識に思い込むのは余計だと思う。その日やるかやらないか0か1かだけでもいい。だから極論最低単位を1回、1個、1枚……とかにしておけばいいんだ。

繰り返すが人間は怠惰だ、サボる、自分もサボる。だからこそハードルは低く持つ。本を出すわけじゃないのだからすごい人の習慣術みたいなものを目指さなくていい。やり方は勝手に決めた、毎日やる下地も作った、あとの目的に合わせた負荷のかけかたは自分の裁量で好きに決める。

最後に、やる気とかモチベーションのことは知りません!*3

scientiapotentiaest.hatenablog.jp

*1:タバコをやめるなんて~というやつは本当はトウェインは言ってないらしい。

*2:残念、終わらない。

*3:やり始めないとやる気は出ないという研究があるのでなんかやりだすしかない。