妄々録拾穂抄

MowMowしている

お篭りぐらしの書きエッティ

思いつかないだけでタイトルに意味はない。

世の中毎日騒がしい。いちおうメインのニュースはタイトルだけでもチェックするが見たくもない話題をあえて見ることもない。ニュース絶ちやデジタルデトックスではないが情報を見ないのも生きる戦略のうちで、めんどくさいときは世の中の情勢をとくに知らなくても死にはしない。自分は適当なのでうまくやっている。

人生他にだいじなことがあるんだ、とわざわざ理由付けしなくても自分の意思でやることは決められるんだから好きなことを好きにやっていればいい。情報一つにしたって自発的にお気に入りのものを調べてるほうが心理的には有益に違いないのだから。

最近無理にでもブログの記事を書くのは頭の中と外の情報とのあいだの壁をつくることに役立っている。没頭することで今に集中できるという効用だナ。

scientiapotentiaest.hatenablog.jp

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書くことは道楽だ。有用無用に関わりなく、書いて書いて悩んで。他愛もないことと陳腐なテーマの使い回し。持って回った書き方でちょっと偉そうに深遠そうなことを書いてみる。遊んでもいいしまじめでもいい、箇条書きでも十分結構。一行日記だって明確なコンセプトになり得る。

人間"もののはずみ"というのがあって書いてるうちにぽろっとおもしろいことが出てくることがある。なにか書きたいことがあってもついでにくっつけた話のほうが筆が乗るということもある。さてこれこれ有用なことを書いてやるぞと意気込んでみても、功名目当てで書いた文章はどこかガチガチ、話が流れない。淀みのない言葉をすらりすらりと書いていけるのは技術か才能かなんでもあるが、勢い任せも悪くない。

ただの日記は誰が興味を持つものか、つまらないとはよく言うが、人間千差万別生き様があるのだから趣味の悪さを別として人間そのものがおもしろくないわけがない。他人に有益、問題解決ばかりがモノの価値ではないはずだ。何かが人を刺激する。日常への共感や境遇への激励でもいい。思いつきや愚痴不満が誰かのひらめきの素になるかもしれない。

無責任に言えば「とりあえず書いとけ」というだけだ。自分の文章だってなにかのためになって山ほどの人に読まれると思って書いていない。何か意思があるなら書けばいいし、尻切れでも誰も咎めない。投げっぱなしでも後で繕ってしまえばほとんどの人にもわからない。自己充足でも結構じゃないか。誰がそれを責めてくるというんだ。

何かを狙ったブログなら勉強しながら積み上げていけばいい。最初から最良品質のものが書けるならあなたは天才だ、自分を誇れ、世間と戦える。しかし自分はやっぱり道楽だ。そしてわずかばかりすけべ心でやっている。何かが起きるかもしれないしそこはコントロールしようとは思わない。