妄々録拾穂抄

MowMowしている

不可逆な世界で浮つく自分

世の中の流れも技術の発展も基本的にはその変化は不可逆だ。

変化に強いか弱いかあんまり考えたことはないが変わっていくものには身を任せるほう。われこそは時代の最先端みたいな人にはなれないがそれなりに興味があれば知識はフォローするし、必要の強制力があれば別に合わせていくことも苦ではないと思う。

世間の変化は好むと好まざるとにかかわらず、押し流されるように昨日の世界はもうなくなっていく。コロナこのかた早くもとの生活に戻りたいという人たちはいても変化してしまった日常は完全には前と同一ではない。元に戻ったという感覚があってもおそらくパラレルワールドのようなものだ。人間それほど細部まで目ざとくはないはずなので、いつの間にか変質した日常や世界になし崩し的に馴染んでいく。

世の中に対してどういう視点をもっていればいいか、抽象的なレベルでものを考えていると具体的な日常のことがお留守になる。具体的な生活や仕事への姿勢とはなんじゃろな。頭の中は色んな情報の影響を受けてあれこれ連想ゲームをしたり、あの本を読んでみようかとインデックスに繋がったりするものの、抽象の中をふらついているうちに現実の認識がふにゃふにゃになる。

流れるに任せた実人生も少しは舵を取ってやらないとどこへ流れ着いてしまうかわからない。生活上の心配もしているところだが、それに関してあーだこーだ日々なんかつらつら書いているのは同じテーマの変奏にすぎない。確かに何かをつかもうと試行錯誤しているものの、思ったような答えが得られないのは根底からして足元の定め方が違うからなのかもしれない。

凡事徹底せよ、と痛棒がばしーん。

想像と言うか妄想と言うか考えをめぐらすのが人間の性質である。とかくだらだら思考を垂れ流すのもご同様。啓発臭くなるがやっぱり目の前のことはやりきらないといけない。