妄々録拾穂抄

MowMowしている

自信と余裕、そしてへんなハードル

自己弁護をさせてもらう。

基本的に打たれ弱い

まあ弱いが弱いなりにこの歳まで生きてきたのでもう慣れたのもあり立ち直りも早いはずと思う。

失敗の記憶は定期的に思い出してしまうが、誰にだってやばい失敗は公私に渡ってあるものだし、こういうときこそ都合よく一般化してしまって他人と大差ないだろうと澄ました顔で生きていける。

それでも自信というものとは疎遠である。自己評価も低い。あまり後ろ向きでは人に見せられる自分もないが、だいたい世の中でやることのハードルを高く見積もりすぎている。

世の中一から十まで評価されて値踏みされているわけでもあるまいに、日常で自分の範囲でできることにそんなに厳しく基準を決めておく道理はない。大した高さではないハードルを跨いで鼻高々くらいでも十分立派なものだ。今日はちょっと早めに作業が終えられて偉かったわくらい些末なことでも自分にはプラスの加点である。

人間は概して困難にぶち当たると自分を低く見積もる。焦って余裕がなくなる。それくらいの心理的反応が出るのは当たり前で、自分も真っ当に人間だなと思える。そういうときのために余裕がほしい、そして裏付けのための自信もほしい。

なんかしたいのである。この漠然と”なんかしたい”のためになんかするハードルを下げたいのである。できれば自信と余裕の裏付けをもってへんなことしたいのだ。閉塞と窮乏より、おもしろいことへんなこと、少しやっていたい。おどけたいわけじゃないけど、他人の興味を掻き立てることでも。

とはいえ余裕のいくばくかは懐の温かさによるというのはある。いつまで田舎の経理屋をやってることやら、突然現実が追いかけてきたところで今日は。