妄々録拾穂抄

MowMowしている

ノックしなければわからない

もしもし、誰かいますか。

頭を小突いてみてちゃんと考えてくれる内的な自分がいるか問いかけてみなくては。

5年後の自分は何をしているかわからない。

時間の感覚が壊れているから中長期的なことを考えるのは苦手だ。

まだ今の職場で会計をいじっているか、何かモノにして転職しているか。今抱えているめんどうが片付いて気持ちが身軽になっているといいが。

家の問題は少し重くなっているかもしれない。お金で整理できることはそうしておきたいが、金銭的な不安が顕在化していないといい。懸案の大きさは概ねそんなところに関係する。

 

5年少し前になるが今の職場に入る前もどうなるかわからなかった。自分の不甲斐なさで好きな人と一緒になれなくて、やや投げやりになっていた。引っ越すつもりで前の仕事はやめていたけど元の仕事に戻る気にはならなかった。子供と関わる仕事をしていたのは楽しかったけど待遇が怪しかったので、知り合いの伝手で全く別の業種だが今の職にありついている。

ほとんどの人はやりたい仕事なんてないと言っていい。それは単に働きたくなかったり、やってないことに対して興味を持つことができないだけだったり、最初から自己イメージを持って飛び込んでいく人は稀じゃないかと思う。世の中ごまんと業種や業態や働き方はあるのに経験できるのは一部だけだ。コロコロ転職していくわけにもいかないが主体的に自分の仕事っていうのをやってる人は時に羨ましい。理想論だとかそれは特権的なことだと断じる向きもあるが、好き勝手に勉強してる自分としてもなんか世の中に知識を還元する方法はないものかとちょっと殊勝なことを考えてしまうときはある。

自分を活かすとはなんだろう。昔読んだ本を取り出してみる。

 

金銭的不安と体調の問題はいつまでも着いてくる。仕事上どう稼ぐかというのは自分で努力する方法を見つけてなんとかするつもりだ。体調はどう気を遣ってもよくわからん状態なのでその時に任せるしかない。

どんなふうに社会に引っかかっていられるか、心のどこかですこし怯えている。あいにく精神疾患の病歴持ちで現在進行で調子が悪いときもある。自分は大丈夫ですと言えても負い目がないわけではない。身体が駆動しない時はしょうがない。

それを言い訳にはしたくない。ただ実際フルパワーを出さないようにセーブはかかっているし、ちゃんとできるはずのことができない気がする意識があるのも確かだ。欠点があり欠損があり、がんばってできるはずのことも出来ないので、劣っているのではという思い込み。自分を拘束する歪んだ認知の鎖と言うこともできる。

根本的にこれは自己評価の問題にかかわる。自己評価が低いと行動も発言も萎縮していく。自罰的にダメ人間だと思うのは容易いのだがいつまでも立ち直りができない。自分の能力を認められれば何かをやろうという挑戦的勇気も湧いてくる。隣の芝生は青く見えるのも青い鳥を捜しがちなのも結局自分の能力を信じきれないからだ。

そんなのは心理的には理解している。ただ闇雲なうそぶきで自分を盛ってみてもいつかそれは剥がれ落ちる。自分には欠点があって、見落としもあって、ただそれでもまだ死ぬほど困窮してはいない。他人への羨望を顕にするよりもまあ楽しいこと探すかという気持ちが湧くのでまだマシだろう。学べるうちはまだ向上できる余地はある。能力についてはウジウジしててもしょうがないので他人に評価してもらうしかない。自己評価の積み重ねも地道な積み重ねだ。