妄々録拾穂抄

MowMowしている

いつでも手のひらを返す準備はできている

言うことがころころ変わってはあまり信用を置ける人間ではないと思われるものだが、人間いろいろなことから影響を受けるもので思っているほど首尾一貫はしていない。

まあ基本的に大人になると考えは硬直化していくものだ。それでもいろいろ情報を得るうちは考えも変わっていく。自分も学べるうちは物事の正確な理解のためになんでも知識を得ていたい。余程支障がない限りはだいじにしておく信念を持ち合わせてはいないし、変節することを厭う理由もない気がする。

知性は時に自分自身に厳しくするように使わなければ意味がない。他人の批評より自分の批評が必要だ。大してかしこくなくても本当に抱いている考えや認識が正しいものか常に点検する気持ちを持っていないと自分は停滞してしまう。社会的や医学的な認識でさえ、誰の言っているどういった意見が妥当か、誤認、思い込み、勘違いは避けられないがゆえに批判的な気持ちは持っておかないといけない。もちろん陰謀論のようなものにはハマる気はない。ああいうものは一部の真実があったとしても都合よく辻褄を合わせたお遊びのようなものだ。

物事は複雑だ。妥当な結論をどう推論するべきか常に完全な情報を持ち合わせているわけでもない。自分が間違っていればそれまでのことで保持するべき利害もなく立場に固執する意味はない。手のひらはいくらでも返すし重要なのは何が正確か自分がどう把握できるか。

そのためにツールを必要としている。だから本を読むし書きながら考える。たとえ大したことでなくても。しかし一銭にもなってないがしょうがない、自分の性質はこういうものだ。