妄々録拾穂抄

MowMowしている

弱点あります

体調管理も仕事と言われると自分は弱る。

最近では健康経営が注目されていてお国でも推している。
健康経営(METI/経済産業省)
健康経営優良法人認定制度(METI/経済産業省)
曰く、従業員の健康に投資することは企業イメージの向上や働く意欲の改善につながるというやつである。このために従業員の健康を私的管理に任せないで、ある程度企業の経営戦略の中に組み込もうという施策だ。
給料上げるのはどこに行きましたか?(小声

就業環境の改善以外にも健康診断をちゃんと受けさせて健康指導などフォローもする、運動の習慣を業務時間内に組み込んで意識向上を図る、健康維持に関わる行動に一部補助を出すなど。もちろんメンタルヘルスの改善も。社食のある会社では脂質の摂取を抑えるために揚げ物の値段を上げ、その分魚系メニューの値段を下げるというのも見た気がする。
従業員の健康管理が業務上でのリスクマネジメントにもなるのは了解できる。
良好な生産性のサイクルに十分パフォーマンスを発揮できることが入っているのは当然か。世の中その逆を行ってることが多いのは今はすこし脇に置く。
企業が就業者の健康に管理の手を入れてくるようになるのはいいのかわるいのか。

でも健康管理について会社からいろいろ言われるのはバツが悪い人もいるだろう。
自分もバツが悪いというよりはいささかこう、後ろめたさが。
個人的にはリスク側の人間なのでと思うことしきり。
嗜好品なら抑えればいい。食事も変えようがある。運動もしたくないわけではない。
普通の健康維持という意味では単純に問題なくやれるだろう。
あ、いまはちゃんとやってないです。
問題はこの脳機能が、管理の努力の範囲で稼働し続けてくれるかだ。
日頃の調子は良い、良いけど基層で常に不調への不安が揺らいでいる。

ところで映画の「ザ・フライ」(’86)をご存知か。
テレポート装置を開発した科学者が思わぬミスでハエと遺伝子レベルで融合し、徐々にハエ人間に変異していく名作SFホラーである。
ジュラシックパークでおなじみマルコム博士役のジェフ・ゴールドブラムが主演だよ。
わざわざ出してきて大した考察にも使わないが、比喩的には健康な自分と不調な自分とが混ざり合って別の新しい存在になってしまってる実感の例えと思ってほしい。
明瞭に病的な状態かと問われれば、現在はほぼ通常だと答える。
修辞的に取ってつけたような歯切れの悪い”ほぼ”がキモである。
うつ状態の最初の一撃が重すぎたのか自分の平常状態というのは変わってしまった。通常の判断力、活動に影響のない体調、それと不即不離で脳の機能、自己の機能に違和感と変調の影を感知してしまう。今後完全になります、の”ほぼ”ではない。

つまり自分は何が不安か。
知的能力に影響が出ること、全般的に判断力に鈍りが出ること。
外見的には健康そうに見える。作業も普通に出来て問題なさそう。
でも”ほぼ”が埋まらない。たったそれだけかもしれない間隙に深い穴がある。
言葉を選ばず要約すると「ある日思いがけなく頭がおかしくなるのがこわい。」
自己のコントロールの及ばない領域に振り回されるのはあとで自覚するとひどく傷つく。日常でさえ単純に疲労から判断力が落ちていることもあるが、地すべり的に認知状態が悪化する可能性を排除できない。それは自分の理性的統制の埒外にある。
もう自己の管理というより事故や天災に遭う不安と一緒である。

仕事上は成果が出せていれば問題がない。
とはいえ働かせる側はリスクファクターの大きい労働者はなるべく採りたくない。こちらも生活だ、ウソとまではいかないものの「その点は問題ありません」と答えることもできる。いつ弾き出されるかを気にしながら働くことにはなるが。カバーできるほど成果が出せる人ならいいと思います、羨ましい。

いささか認知の歪むところを感じてきたので尻切れで終わる。
働き方は継続的に懸念するところで一個人としては無力だ。社会との対立を考えすぎる。